ライオンズクラブについて
ライオンズクラブ国際協会の沿革とその組織
ライオンズクラブ国際協会は1917年アメリカ合衆国シカゴ市で誕生した。創立者メルビン・ジョーンズは当時シカゴ市において保険代理店を経営し,ある実業団体の会員として市の有力者たちと交際しているうちに,こうした集まりが単なる商売上または社交上の集まりにとどまらず,社会のためになにか有益な団体となり得ないだろうかという夢をいだきはじめた。
そこでメルビン・ジョーンズは合衆国内の各種団体に呼びかけて,各地の指 導的立場にある人々による社会奉仕団体の結成をもくろんだのである。
かくして1971年6月7日シカゴ市のホテル・ラサールのイースト・ルームで、合衆国の各地から集まった約20名の代表者が最初の会合を行い、そしてその年の10月8日から10日までの3日間22クラブの代表者36名がダラス市のアドルフォス・ホテルに集まって第1回の大会を開催し、ここに正式に「ライオンズクラブ協会」の名称を採用したのである(初代会長W.P.ウッズ)。
1920年3月12日、カナダ・オンタリオのウインザー市にアメリカ合衆国外の第1番目のクラブが結成され、協会の名称も「国際協会」となった。
以来、メルビン・ジョーンズが協会とともに歩んだ半世紀の間に、協会の目的と綱領に対する共鳴者は全世界に広がり、現在では世界210カ国に137万を超える会員を擁する世界最大の国際的社会奉仕団体となっている。
正式名称は「ライオンズクラブ国際協会 The international Association of Lions Clubs」(通称 Lions Clubs International)であり、
本部は300W.22nd Street,Oak Brook,Illinois 60523-8842, U.S.Aにある。
オークブルックの本部は、1953年の国際大会決議によって、シカゴ市内のミシガン大通りに設置された本部を、1972年に移転したものである。
メルビン・ジョーンズは1961年、82歳の生涯を閉じたが、この偉大な創立者に対し、1958年、国際理事会は「創立者兼総幹事」
(Founder and Secretary-General of Lions International)の称号を贈って、その功績をたたえている。
2015‐2016年度の国際協会は国際会長、前会長、第1副会長、第2副会長および34名の理事で構成する国際理事会によって運営される。
1978年6月、東京において開催された第61回国際大会では、故L.村上薫が、日本から初めて第3副会長に選出せれ、1981‐82国際会長を務めた。
ついで1987年7月、台北において開催された第70回国際大会ではL.小川清司が第3副会長に選出されたが、1989年9月、第1副会長在職中に逝去された。
そして、2015年6月、ハワイのホノルルにおいて開催された第98回国際大会で、L.山田實紘が国際会長に選出された。
理事の任期は2年で、毎年半数ずつ改選されるが、それ以外の役員の任期は1年である。理事は世界のライオンズ国を会則で七つに分けた地域からそれぞれ1名ないし数名が選出される。日本は「東洋東南アジア」地域に属している。
すべてのライオンズクラブは、ライオンズクラブ国際協会からチャーター(認証)されて初めて国際協会の一単位クラブとなるのであるが、同時に国際協会会則および付則を遵守する義務を負うことになる。 ライオンズクラブは単なる社交クラブでもなく、また慈善団体でもない。各ライオンズクラブは国際協会を構成する一単位で、クラブ会員の力を結集して諸般のアクティビティを実行する社会奉仕団体である。会員は、善良な徳性の持ち主で、地域社会において声望のある成人の中から厳選され入会は招請のみによる。会員はクラブ、地区および国際協会の役職に就く権利並びにあらゆる表決を要する事項に対する投票権を持ち、また速やかな会費納入、クラブ活動参加およびクラブが地域社会によい印象を与えるような行動の義務を負う。
あらゆる提案や企画は、まずクラブ理事会において検討され、理事会がこれを適当と認めた場合は、実施計画を立案して例会に提出し、承認を求める。
承認を受けると理事会は全会員の協力のもとにこれを執行する。クラブ会長が任命した各委員会は理事会の質問にこたえ、
計画立案および実施に当たって理事会を助ける。これがライオンズクラブ運営の原則である。
全世界46,500のライオンズクラブは743の地区(単一、準、暫定、移行)に分けられて、各地区はその年次大会で地区ガバナーを選出する。
地区ガバナーは国際協会の役員で国際理事会の全般的監督のもとに所属地区において国際協会を代表する。
その任期は国際年次大会閉会時から次回国際年次大会閉会時までである。地区ガバナーは地区をいくつかのリジョンに、
リジョンをさらにいくつかのゾーンに分けて、それぞれリジョン・チェアパーソン、ゾーン・チェアパーソンを任命する。
また地区ガバナーは前地区ガバナー、第1および第2副地区ガバナー、キャビネット幹事、会計、リジョン・チェアパーソン、ゾーン・チェアパーソン地区委員長などをもってキャビネットを構成し、その議長となる。
いくつかの地区が集まって複合地区を構成する場合は、構成準地区の地区ガバナーはガバナー協議会を組織し、複合地区の運営に当たる。
1976年6月まで日本のライオンズは302E・302Wの二つの複合地区に分かれて運営されていたが、各複合地区内のクラブ数、会員数、準地区数は世界の各複合地区に比べてあまりにも大きくなってしまった。その結果生ずる種々の問題、すなわち、クラブからの代議員定数を受け入れられる複合地区大会開催都市が限られてしまったこと、地域社会に密着した複合地区運営が困難になったこと、その他を合理的に解決し、日本のライオンズの一層の発展を図ろうとの趣旨で、複合地区分割が決議され(第21回302E,302W各複合地区大会)、国際理事会の承認を得て1976年7月から日本のライオンズは八つの複合地区に分かれて運営されている。
各複合地区は独立した権限と責任を持ち、それぞれの複合地区会則に基づいて運営され、この上にいくつかの複合地区を統括するような組織を作ることはできない。 このことを踏まえたうえで、日本のライオンズに共通な事項については8複合地区各種連絡会議を持ち、融和協調のうちにその進歩向上を図りつつある。