佐野西ライオンズクラブ

日本のライオンズクラブのこれまでと今後

我が国のライオンズクラブは1952年3月に初めて東京に誕生した。当時なお険悪な対日感情をいだいていたフィリピンのマニラ・ライオンズクラブによってスポンサーされたのである。この恩讐を越えて人類の進歩と平和を願うライオンズ精神は、日本の指導者たちをいたく感激させ、以来わずかの年月に多数の会員を獲得し、世界第2位のライオンズ国となったこともあるが、現在は米国、インドに次いで世界第3位を保っている。 これは、日本のライオンズ草創時代の会員の使命感を、熱心な新クラブ結成、会員増強によるものであるが、もともと日本人の中につちかわれいていた社会福祉に対する理解と、戦後日本の改正憲法に現れた民主性、国際性に沿って、国政伸展の時流に乗ったものであることも見逃すことはできない。

握手の写真

もともと、ライオンズクラブは国際協会の目的に示されているとおり、よい公民の原則により、地域社会の生活、文化、福祉及び公徳心の向上に積極的関心を示し、国際的、民主的社会の発展を目ざして運営されるもので、1960年5月、新潟における第6回302-E地区年次大会で採択されたわれわれは知性を高め、友愛と寛容の精神を養い、平和と自由を守り、社会奉仕に精進するというライオンズの誓いは、ライオンズクラブの会員である誇りとその責任を、端的に表す言葉であるが、その後ライオンズクラブ国際協会の目的が改正され、目的の中の寛容の精神という言葉は相互理解の精神に置きかえられた。 これに呼応して各複合地区において次第にライオンズの誓いの改正が行われ、現在では8複合地区のすべてが「寛容の精神」を「相互理解の精神」と改めた誓いを採択している。

現在我が国ではLiberty,Intelligence,Our Nation’s SafetyのスローガンとWe Serveのモットーのもとに、多数のクラブ会員が活発にクラブ・アクティビティ(奉仕活動)を行っている。 ライオンズクラブによるアクティビティの内容は、あらゆる分野にわたり、それぞれのライオンズクラブが生活、文化、福祉および向上発展のためにその役割を果たしているのである。

しかし、あまりにも急激な発展をしたために、そこには数々の反省すべき点、懸案となるべき問題が生じてきた。クラブの運営またはアクティビティのあり方などに、無批判に過去のやり方を採り入れてはいないか。またライオンズクラブ会則および付則標準版(以下「クラブ会則」という)の解釈などに間違いはないだろうか。以下ライオンズクラブはいかにあるべきかについて問題点を掲げてみよう。